舛乃山の母はフィリピン人でハーフ?家族のために関取へ【相撲】

母と舛乃山
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かわいい顔が印象の舛乃山関。
ケガに病気にと苦しみながらも
懸命に相撲に取り組んでいます。

そんな舛乃山関がなぜ力士になったのか、
壮絶な過去がありました。

今回は、舛乃山関について紹介します。

舛乃山はハーフ?

舛乃山家族
左から弟の千晴さん、舛乃山、母

舛乃山は
日本人の父と
フィリピン人の母の間にうまれた
ハーフです。

母のマリヤさん(写真右)は
介護の仕事をしています。

一歳年下の弟、千晴さんは
、床山として千賀ノ浦部屋で働いています。

日本語、
英語、
フィリピン語
と3か国語を話すことができます

いつか母のためにフィリピンに家を買ってやりたい

とても母親思いの
優しい息子です。

舛乃山のプロフィール

舛乃山
舛乃山プロフィール

本名   加藤 大晴 (かとう ともはる)
四股名  舛乃山(ますのやま)
生年月日 1990年11月1日 (29歳)
出身地  千葉県印旛郡栄町 (出生はフィリピン)
体重   154.0kg
身長   177.0㎝
得意技  突き・押し
所属部屋 千賀ノ部屋
 

なぜ家族のために関取へ?

舛乃山関は
小さいころから
ちびっこ相撲で
活躍していた少年でした。

小学6年生の時に
全国3位になり
そのころから力士をめざしていました。
また、相撲関係者も注目していた人材でしたが、

中学3年生の時に両親が離婚

離婚により
母の故郷である
フィリピンに行きます。

フィリピンでの生活は
貧しく、
停電、

床下浸水
は当たり前

15人という
大家族の中で暮らし
水を運ぶなどの
力仕事をして家族を支えていたそうです。
慣れない暮らしで
体重も10キロほど落ちました。

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母を楽にさせてあげたい
という気持ちで、
中学卒業後は
家族を養うために
働くことを決意します。

そのとき
諦めていた
”相撲”
で母を楽にさせてあげたいと

千賀ノ浦部屋へ入門しました。
日本への渡航費用も
千賀ノ浦部屋の親方が
だしてくれました。

舛乃山のキャッチフレーズ

舛乃山のキャッチフレーズは

20秒しか戦えない戦士

なぜ、
このキャッチフレーズなのかというと
舛乃山関は、
人より肺が小さく
すぐに息があがってしまいます。

肺が小さい人は、
心臓に疾患があることが多く、
精密検査をして
手術が必要かもしれないと医者に言われました。

しかし舛乃山関は、
検査を拒否します。

検査をして
手術が必要となれば、
その間は
稽古や取り組みができず、

さらに復帰しても
元に戻るまでに
時間がかるのではないか
と心配し
母に仕送りができなくなる
と思ったからです。

20秒を過ぎると、
息がくるしくなり
水の中でおぼれているようになるそうです。

舛乃山関は
20秒で勝てばいい
という逆転の発想で
相撲をしています。

なるべく
早く決着をつけなくては
いけないので
得意技が、付き・押し
なのはそんな理由からなんですね。

舛乃山

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まとめ

両国のぼり

舛乃山関は、日本人とフィリピン人のハーフで
母に楽をさせてあげたい
フィリピンに
おうちを買ってあげること
を目標に
稽古に励んでいました。

人より肺が小さく
20秒しか戦うことができない
というハンデを
マイナスと
とらえず
プラス思考なのは
すばらしいと思いました。
通常の稽古でも、
つらいはずなのに
一生懸命に頑張っている姿に
応援したくなりました。

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